2019年3月3日日曜日

15 顔のある木

午後にその日の宿泊地である洞爺湖へ到着し、遊覧船に乗って、湖の中央にある中島へ渡った。中島へ到着したのが遅い時間だったため、あいにく登山口は閉鎖されていて中島のトレッキングはできず、私たちは、桟橋の近くで1時間ほど過ごすことになった。 

私の場合、このように何らかの形で行動が制限される時、「そこじゃなくて、ここだよ!」と示されていたのだなあと、後で振り返ってそう思わずにはいられないことが多い。

湖畔を歩いていると、少し大きめの木があり、私はその木に近づいてみたくなった。根元まで歩いて行き、そこからふと木を見上げた途端、ぎょっとして目が釘付けになった。 

「うわぁ、顔!」 

私の目には、それが風で髪が立った人の横顔に見える。どうしてそんな風になったのかわからないが、まるで仮面を作って幹に貼り付けたかのよう。裏側に回って見てみると、溶岩がぐちゃぐちゃになって固まったような形で、反対側の顔とは全く違う様相をしている。おそらく枝が折れたところにこのようなコブが形成されたと考えられる。滑らかで丸っぽいコブはよく目にするが、こんな形のコブは見たことがなかった。  

電撃的、衝撃的という言葉がしっくりくる。その顔を見た瞬間の反応は、それほど強烈だった。少しでも角度が違っていたら、そんな風には見えなかったのに、無意識は恐ろしいほど完璧な形でアプローチしてくる。 

その時、遊覧船の中で聞いた中島についての説明が、頭の中に流れてきた。かつて蝦夷征伐があった時、あるアイヌ部族の人たちがこの中島に逃げ込んで、酋長を中心に、それ以降そこで暮らしたとのこと。 

そのコブに荒っぽい野性的なエネルギーを感じ取った私は、なぜかこの顔はその酋長だと思った。この木と私の無意識が引き合ったからこそそれが私の目にとまり、そこでそんなことを思うに至ったのだろう。

洞爺湖の中島で、このような出会いがあるとは!胸が熱くなり、涙がこみ上げた。私はこの木を讃え、アメリカから持ってきたタバコの葉を感謝と共に根元に捧げた。 

少し前に、「こんな形のコブは見たことがなかった」と書いたが、それは日本で、という意味で、実はよく似たコブがある木をもう1本知っている。 

それは、アメリカワシントン州ピュージェット湾に浮かぶ島ウィッビーアイランドの、古木が林立する森の中にある。

今から5年前のこと、5泊6日のタッチドローイング・ギャザリングの中盤に行う野外ドローイングで、森に入って絵を描くための自分の場所を見つけた時に、私はその木に出会った。 

ある大木の下に画材を置いて腰を下ろし、空を仰いでぐるりとあたりを見回した時だった。少し離れた所に20メートルほどの高さの杉の木があり、私の目はまっすぐに伸びた幹の上の方に釘付けになった。 

「顔がある!」
 
その時の反応は、洞爺湖で見た時のものよりも強烈だった。私は、しばらくそれが気になって仕方なかった。 

深い森の中は、日常とは全く異なる神秘に満ちた空間だ。森の声に心の耳を澄ませ、そこでドローイングをすると、私の指からは、知恵と愛と力に満ちたメッセージが解き放たれる。 

ふと、その木から感じ取ることを描いてみようと思った。大木の根元に座って、向こうに見える木のコブの部分を感じながら画板の上で指を走らせていると、まるで殻を破るように、コブの内側から羽根飾りをつけた力強い男性の顔が現れた。 

かつて、この島には複数の部族が住んでいたという。私には、その顔が、高い場所から森を見下ろし、これまでたくさんのことを目撃してきたと同時に、そこから見渡せる遠い未来をも見据えているように見えた。私の指を通して現れたその存在は、大地(地球)を見守り、私たちを導いている象徴のように感じられた。 

洞爺湖で出会った木のコブと、アメリカのこの森で出会った木のコブを今見比べてみると、私は同じ方向から見上げており、コブの形もよく似ていることに気づいた。偶然にしては、でき過ぎている。


洞爺湖にて


ウィッビーアイランドにて