2019年3月3日日曜日

32 手術室でロックミュージック!

翌日、私の手術は午後3時半の予定だったが、前の手術のスケジュールが押して大幅に遅れた。朝から絶飲食状態で数種類の目薬を20分間隔でつけなければならず、緊張状態で今か今かと待ち続けていたので、次第に疲れてきた。ようやく順番が回ってきた時は夕方になっており、会社だとほぼ退社時間。私は車椅子に乗せてもらい、手術室に向かった。  

手術室の大きな扉が開き、中に入った途端、ん?と思った。
何?このエネルギーは! 

手術室でロックミュージックが流れていた!ハイエナジーでアップビートの曲。スポーツのエネルギーに似たとてもフィジカルで力がみなぎっている感じが、手術室に充満している。その雰囲気の中で人々が機敏に動いていた。 

うわあ〜、すごくいい感じ!この感じ、好き!
私はワクワクしてきた。 

執刀医(担当医)と手術チームが私を迎えてくれた。先生は気合が入っている様子で、私はそれをしっかりと受け取った。 

挨拶をして、手術台に横たわるや否や、数人の若いアシスタントが私の周りを囲み、それぞれ声をかけながら膝下に置くクッション、上にかけるブランケット、心電図の装着、血圧計の装着など、わずか数秒の間に見事なチームプレーでセットを完了してしまった。 

おお、さすが日本!と、私は、そのあまりの手際よさとキビキビとした動きに感動した。背後で流れるロックミュージックのメロディーとリズムがさらに強烈な至福感へと押し上げ、高揚したハートが体ごと天井を突き抜けてしまうのではないかと思うほど、私はハイになってしまった。 

私の全体が最高の状態と言ってよかった。手術台に横たわってこんな至福感に浸っているなんて、私はそうとう変なヤツ。頭がいかれているのか?・・・私は内心苦笑した。 

眼球を切開するので何も見えないが、私は手術中も全身で感じ取り、一部始終に耳をそばだてていた。これはまたとないチャンスだから、しっかり体験してみたかった。 

網膜剥離の後遺症でできた膜を取り除く時だと思われる。先生が「こりゃ〜厚いなあ」とこぼした言葉に、やっぱりと思った。私がイメージしていた膜もかなりの厚さと質感があった。 

私はその膜を、邪魔なものではなく、目的があってそこにできたものだと捉えていた。友人が、私がカッターナイフでスクリーンを切って外へ出て行く映像を見たと前に書いたが、私の心の準備が本当にできた時、既に意識の上ではスクリーンは切られたのだと思う。それを今、物理的に執刀医が剥がしてくれて、膜の役目が終わった。 

また、一度敗れた網膜に再び穴が空いていないかどうか確認している最中だったか、先生が「深いなあ〜、こうしない限り絶対見えないよなあ」と言って、助手に示している時だった。その言葉に「そうよ、私は深いのよ、ふふふ」と私は内心ほくそ笑んだ。 

網膜剥離になった時、破れてできた闇にフォーカスすると、そこは静寂で広大な宇宙空間だった。漆黒の闇の中できらめく星々や、ごくゆっくりと回転しながら成長している銀河がそこにあった。自分の目の中に見た宇宙。私は物質でありながら、非物質的なものでもある存在・・・。 

5年前に、サンフランシスコで開催された表現アートセラピー協会の会議で参加したワークショップで、自分の魂に触れてそれを形にしてみるというのがあった。誘導瞑想の時に、私の目の前に現れた魂の形は渦巻く銀河のようであり、私の魂はその中心にあった。それに触れようと中心の漆黒の空間に手を入れてみると、底がない深さで、それを、用意されていた色紙や毛糸の材料で表現することは無理だった。

今、私の網膜を調べている先生のコメントに、それらのことが思い出された。 

手術が終わった後、先生が手術室の通路から出口まで車椅子を押してくれた。私は前を向いたまま「先生、ロックミュージックすごくよかったですよ!」と言うと一瞬沈黙があり、「あれは私が選びました」と先生が答えた後、後ろから私の背中に大量の温かいエネルギーが流れ込んできた。 

その温かさは、絶対的な安心感と心地よさを与えるもので、どこか遠くで既に知っているような、何か深い部分で懐かしさを覚えるような、そんな感覚を起こさせるものだった。 

私と先生のハイヤーセルフががっしりと硬い握手をしている映像が手術の前に浮かんだと書いたが、伝わってくる温かさがその映像をリアルに感じさせていた。

そこから、二人の間で温かなエネルギーの対流が起こった。それは医師と患者の間の信頼のエネルギーなのであろう。このエネルギーが、手術の根底を支えてくれていたのだと思った。