自然と共鳴し始めると、新しい体験の扉が開く。私はそこにスピリットの存在を感じずにはいられない。ふと空を見上げると、出ている雲などにメッセージや共時性が読み取れ、自然と対話をしているような感覚になることがあるが、北海道に着いてからは、それをより強く感じた。
車を走らせていると、突然サインが出てきたり何かを感じたりして、ピンと来た瞬間「あっ、ここ曲がって!」と私は叫んでしまうので、運転している友人は慌ててハンドルを切ることになり、危なくて仕方ない。もうちょっと早目に出してくれればいいのにねえ、と二人で苦笑いしたりするが、そういうヒヤヒヤも旅の楽しみの一つかもしれない。
まず導かれたのは、縄文遺跡のフゴッペ洞窟だった。そこは、前日にグループで訪れようと計画していたが、コースが逸れてしまい行けなかった場所だった。もうそのことは全く忘れていたが、それが翌日、道端の小さな標識という形で、突然飛び込んで来たので驚いた。
私たちは、洞窟に描かれたいくつもの壁画を見て回った。洞窟の中でエネルギーを感じ取ると体が熱くなり、両手がビリビリした。私は特にある絵に惹かれていたが、その絵を最初目にした時、あっと驚いた。というのも、その絵は、私がタッチドローイングで描いたものとそっくりだったからだ。
縄文のその絵は「翼の仮装をした人物」と名付けられている。いかにも現代人が考えそうなタイトルである。私は、そのタイプの絵をこれまで幾度となく描いているが、意識が深い部分へと降りて行く時に、人間(自分)と鳥が融合しているような絵が出現し、描いている時は、決まって既に知っているような懐かしい感覚に包まれる。
「翼の仮装をした人物」の絵を前にして、またその懐かしい感覚が訪れた。その懐かしさは、太古の時代から来るのだろうか?それとも高次の意識が既に知っている未来から来るのだろうか?あるいは、その両方なのか?