2019年3月3日日曜日

14 翼の人

翌日から3日間は、空港に迎えてに来てくれた友人と二人で行動することになっていた。前日のグループでの体験は、今までにないタイプのものだったが、二人の旅の体験は、さらにエキサイティングなものとなった。  

自然と共鳴し始めると、新しい体験の扉が開く。私はそこにスピリットの存在を感じずにはいられない。ふと空を見上げると、出ている雲などにメッセージや共時性が読み取れ、自然と対話をしているような感覚になることがあるが、北海道に着いてからは、それをより強く感じた。 

車を走らせていると、突然サインが出てきたり何かを感じたりして、ピンと来た瞬間「あっ、ここ曲がって!」と私は叫んでしまうので、運転している友人は慌ててハンドルを切ることになり、危なくて仕方ない。もうちょっと早目に出してくれればいいのにねえ、と二人で苦笑いしたりするが、そういうヒヤヒヤも旅の楽しみの一つかもしれない。 

まず導かれたのは、縄文遺跡のフゴッペ洞窟だった。そこは、前日にグループで訪れようと計画していたが、コースが逸れてしまい行けなかった場所だった。もうそのことは全く忘れていたが、それが翌日、道端の小さな標識という形で、突然飛び込んで来たので驚いた。 

私たちは、洞窟に描かれたいくつもの壁画を見て回った。洞窟の中でエネルギーを感じ取ると体が熱くなり、両手がビリビリした。私は特にある絵に惹かれていたが、その絵を最初目にした時、あっと驚いた。というのも、その絵は、私がタッチドローイングで描いたものとそっくりだったからだ。 

縄文のその絵は「翼の仮装をした人物」と名付けられている。いかにも現代人が考えそうなタイトルである。私は、そのタイプの絵をこれまで幾度となく描いているが、意識が深い部分へと降りて行く時に、人間(自分)と鳥が融合しているような絵が出現し、描いている時は、決まって既に知っているような懐かしい感覚に包まれる。 

「翼の仮装をした人物」の絵を前にして、またその懐かしい感覚が訪れた。その懐かしさは、太古の時代から来るのだろうか?それとも高次の意識が既に知っている未来から来るのだろうか?あるいは、その両方なのか? 

いずれにせよ、私の丹田がその絵のエッセンスと太い綱で繋がると、時空を超えて交流しているような感覚になった。


フゴッペ洞窟「翼の仮装をした人物」