2019年3月3日日曜日

40 夢の次元を現実に降ろす

9月末にシアトルを訪れ、友人宅に数日滞在させてもらった。20年以上住んだシアトルは、私が初めて心の声を聴きその後の人生の軌道を大きく変えた場所であり、様々な体験を通して自分のエッセンスを思い出して行った魂の故郷でもある。 

ハチや8に集中的に出会い、それは「物理的に不可能と思えることを可能にする」ことの象徴であると自分なりに感じ取った後、8月8日に見た夢の中で、私は即興でピアノを弾いていたと書いた。 

その夢を見て以来、夢の中で体験した、感じるままに動く指が作り出す深く豊かな音色や滑らかな水の流れのようなメロディーと、完全にリラックスして流れの中にいる心地よさが、心の中に長い余韻を残していた。 

あれは夢だったけれど、ひょっとしたら私は実際にそれができる?夢の中で演奏している自分を離れた場所から見ていた自分は、夢の中だけでなく今この現実の中にもいるような気がした。その部分の自分は表面には出ていないが、私の内側の奥にいるような気配があり、漠然としてしっかりとした根拠もないが、実現できるという自信があった。 

シアトルの友人宅には以前の住人の持ち物がいくつか残っており、そのひとつがリビングルームに置かれている古いピアノだった。それは調律されていないということだったが、息子さんが時々弾いており、木製の家具調ピアノは見た目にも温かみがあった。 

ある日、その家に一人でいた時、私はふとピアノに触れてみたくなった。「今なんだ、実現するチャンスは・・・」というハートの声が聴こえた。7月に岩手で20数年ぶりにピアノに触れ、友人に助けてもらいながら即興演奏をほんの少しだけ体験させてもらった。その後、リアルな感覚を伴った即興演奏をする夢を見たが、今シアトルでさらなる体験の時が来たのだった。 

お膳立てされている、と感じた。だからやってみるしかない。 

ピアノは習ったことがなく、楽譜も読めないと前に書いたが、だからこそ、夢の中の感覚を体験するに絶好の条件なのである。ゼロの状態でやることに意味があった。 

家には誰もいないので、遠慮する必要もない。頭を空っぽにし、感覚だけを開け、指を置いてみる。頭が空っぽになると、これは「ド」、これは「ラ」というような認識がシャットダウンされ、目に映る鍵盤のひとつひとつはただ「長細い四角い形をしたもの」としてのみ認識される。 

そのひとつひとつの四角いものに、ただその瞬間感じるままに指を置いていく。出る音は、指が触れるまで全くわからない。 

岩手では友人がそばにいて音を重ねてくれたが、ここでは全く一人の世界だった。数分間弾いてみるということを、何度かやってみた。リラックスするに従って、自分とピアノの距離が縮まっていった。 

白鍵だけを触っていたが、出てくる音に間違った音などひとつもない、ということに気づいた。私にとって、ピアノは厳格な指導というイメージが伴っていて硬い感じがあったが、今目の前にある古くて調律されていないピアノは独特の音色と温かみがあり、全てを受け入れてくれる器の大きい存在だった。 

次第に大胆さが増してきて、私は指もピアノも完全に信頼できるようになっていた。そこには何もない、ただ指が動いているだけという感覚だった。手指の数や幅、場所を感じるままに変えて置く瞬間に発せられる音が指の動きと共に変化していくのを、目を閉じて新鮮な感覚で聴いている自分がいる。 

ああ、この感覚。この音色・・・夢の中の自分と、今これを弾いている自分が重なる。 

しばらくすると、感情の流れのようなものが内側からこみ上げてきた。ここからは強さを、ここは優しさを・・・。出る音を聴きながら、内側から音の物語を進めていく。 

私は感覚的に物語の流れの舵を取り、指にそれを実行する仕事を任せて、ピアノの椅子に座って演奏を聴いていた。それらが独立していながら全部がひとつだという不思議な感覚を、さらに離れた場所で見ている自分がいた。 

ある時、突然、指が人に思えた。左手の指の人と右手の指の人が、お互いの存在を認識し、離れた場所から徐々に近づいて出会っていく。それぞれの歩幅とステップで近づいていく男女。鍵盤の上で二人が出会い、その関わりの中で人生のダンスが繰り広げられていく。二人のダンスがメロディーになり、ハーモニーになっていた。弾いていてこんな風に感じるなんて、なんて面白いのだろう! 

私は弾いている間、ほとんど目を閉じていた。目を閉じていても、指は触れる場所を正確に知っているかのよう。私と「目に見えない何か」が同時に創造をしている、と感じた。

 私は、その目に見えない何かとダンスをしながら、流れの中で力を抜いて一緒に流れていた。そのなんと心地よいことか。そこにあるのは深い喜び、純粋な喜びだった。 

私は8月8日に制限のない夢の次元で見たことを、自分の肉体を使って現実で創造していた。ピアノの夢は、夜空に向かって昇った列車のシーンの前に見たものだったが、シアトルの友人宅で弾いたことは、列車に乗ってその次元へと行き、受け取ったものを地上へ持ち帰ったようなものだった。