2019年3月3日日曜日

55 クリスタルが割れた

退院して数日後、不注意で机を揺らしてしまい、そこに置いてあったクリスタルのブレスレットが落ちて、クラック水晶のひとつが真ん中から割れて半月状態になってしまった。今まで何度も落としたことがあるが、このタイミングで割れるとは。

ブレスレットの石が割れるのは不吉だとか、何かの身代わりになっただとか言う人もいる。私としては何らかの浄化だと思っていたが、そのブレスレットを手に取ってみてもそんな感じはしない。

それよりも、「タネが割れた」という言葉が浮かんだ。そう、クリスタルのタネが割れて発芽する、という方が感覚的にしっくり来た。クリスタルのタネが割れる、発芽するなんてヘンテコな表現だが、それは象徴であると感じた。

網膜剥離から約2年の期間は、のちに振り返って、私にとって大きな節目だったと言える時なのだろう。その間に起こった出来事は様々な側面を持つが、体験は時間と共に私の中で徐々に結晶化されていき、私はそれを書き綴ることになった。その結晶化された(クリスタル状になった)タネから発芽した芽は、成長という大きなエネルギーの流れの中で、既に伸び始めている気配がある。

割れたクリスタルから芽が出るというのは奇妙な想像で、さらに言葉遊びまでするつもりはないが、私は「芽」の「め」は「目」でもあり、ローマ字で「me」と表記すると英語の「自分」と言う意味にもなると気づいた。

すると、私の中からさらに言葉が流れ出た。「目に映った瞬間の物事はそれ自体ニュートラルであり、それは透明なガラスのようなクリアーな意識の扉を物事がそのまま通過していくだけのこと。そのような目に映ったものを「me」(自分)がどのように捉える(意味づける)か。そこが積極的な創造の始まりである」と。

「同じことをしていても仕方ない」という言葉が繰り返し頭の中に浮かんでくる。水晶体を取り替えて新しい目になった私は、新しい意識をベースに新しい創造をしていくというのが、割れたクリスタルからのメッセージなのだろう。

今月中旬に、私は左目の手術の直前に知ることになった瞳のような形をした湧水を、それを教えてくれた親友と一緒に訪れることになっている。手術の最中に、私は自分が湧水として生きている水になった感覚があったが、その生命エネルギーである水に会いにいく。そこで私は何を観て何を感じるのだろう?

地上の瞳であるかのようなその湧水を心に浮かべると、その水の上に重なるように、空の瞳であるかのような「スターガーデン」の絵が映る。そして、8月8日に夢の中で見た、空に向かって昇っていく列車と共に、この歌が聞こえてくるのである。


さあ行くんだ
その顔を上げて
新しい風に
心を洗おう

古い夢は
置いてゆくがいい
再び始まる
ドラマのために 

<ゴダイゴ 「銀河鉄道999」より>




私を様々な形でサポートしてくださっている全ての方々に感謝します。そして約束の下、私を導いてくれているたくさんのスピリットたちに感謝します。




 

54 こんまりさんがやって来た

複数のことが並行して起こっているため、時間的には少し前に戻るが、退院してすぐのある日、夫が興奮したように言った。

「俺のネットフリックス・アカウントに、こんまりのショーが入って来てびっくりした」

「???」

アメリカに住んでいた頃から、夫はネットフリックス動画配信サービスを利用しているが、アクセスすると、近藤麻理恵さんのアメリカでの片付けリアリティショーが、リクエストもしていないのに勝手に入っていたとのことだった。

私はニヤリとした。というのも、退院して帰宅した時から片付けをしたくてうずうずし始めたからだった。

「そうそう、断捨離のタイミング!」

私たちは2012年の秋までアメリカにいたので、近藤麻理恵さんのことも断捨離ブームのことも間接的に聞いたことがあるだけだった。その後、アメリカの友人がこんまりメソッドの話をしてくれて、具体的に知ることになる。

今年の元旦からアメリカで始まったショーが、片付けたいと思っていた私の気持ちにシンクロするように、夫を通してやって来た。

私たちは早速8つのエピソードをひとつずつ見始め、それと並行して私も片付けを始めた。以前やった片付けとは違い、こんまりメソッドを使ってみると、片付けを通じて自分と物との関係性、その背後にある想いなどが見えてくる。

持っている衣類を全て一箇所に出してみると、普段着、外出着の扱い方、種類、着る頻度やパターンが良くも悪くもいかに母親の影響を受けているかがわかった。

大胆な色や柄も好きなのに、目立ち過ぎることを極力抑えて来た。色々持っているにも関わらず、こなせていない。色々なものを試してみたいという、好奇心旺盛な自分がいるし、選んだ服から、フェミニンから男前まで様々な側面が顔を覗かせる。片付けながら、ふふ〜んフムフムと頷き、そんな色々な自分を抑えずに、もっと発揮させてあげようと思った。

捨てることに対する罪悪感は、とどのつまり「地球を汚したくない、これ以上負荷をかけたくない」という考えだった。その罪悪感を持ちながら、捨てられないものにスペースを取られてイライラしながら生活する方がよほど不健康で、そんな自分が地球と良好な共同創造ができる訳がない。

捨てるとほとんど100%の場合、スッキリしてエネルギーチャージされ、スペースができた分だけ新しいものを迎えるワクワク感となっていく。

それにしても、このタイミングで夫のネットフリックスに入ってきたなんて、またしてもおもしろ過ぎる!



53 どちらが正しい?

退院して帰宅し、眼帯を外して見え具合を確かめてみると、左目と右目の見え方が違うことがわかった。右目は網膜剥離の影響があるため少しくっついて狭くなって見えているが、左目はやや幅広で太めに見える。文字に例えると、右が明朝体で左がゴシック体のフォントを見ているようなものである。

テーブルを挟んで座っている夫の顔も、片目ずつで見ると痩せ顔バージョンと太顔バージョンの2通りになるし、鏡に映った自分の顔もそうである。これは意外な結果だったので、私はショックで頭の中が大慌てになった。「えっ?どっちが正しいの?!本当はどっち?ひょっとしたら、どちらも正しくないかもしれない・・・!」

見えているものが本当にその通りであるかなんて、今まで考えたこともなかったので、これはまさに青天の霹靂(へきれき)だった。その上、両目の眼内レンズは単焦点コンタクトレンズが永久的に入っているようなもので、もはや自然な状態ではないことも手伝って、目に対する考え方に変化が起きざるを得なかった。

それぞれに差があるため、両目で見ると最初は少し見え方に違和感があったものの、脳が調節してくれるおかげでなんとなくひとつに落ち着いてきたが、片目ずつで見ると違って見えることに変わりはなかった。

自分の顔は、正確に言えば3通りに見えるのである。私は鏡の前に立つたびに、今見ているこの顔は本当の自分の顔なのだろうか?という、アイデンティティの危機にも似たような、これまで直面したことのない種類の心理状態に陥った。

しかし、そのような気持ちだったのも数日の間だけだった。どれが正しい?どれが本当?と考えると苦しくなるが、私は正確であることにこだわる傾向があるんだなあと気づくと少し楽になる。そして、正確なんてことはあり得るのだろうか?と考え始める。

そもそも自分の顔や姿は、何かを介さずして見ることはできない。それが100%正確だと言えるのか?それに、機械で作ったように、全員の目が同じ状態で生まれてくるなんてことはあり得るのか?もしかしたら、自分と全く同じ見え方をしている人など、最初から一人もいないかもしれない。

すると、全員が全く同じように見えるというのは不可能な方が自然に思えてきた。生まれ持った物理的な状態、色弱や視力、矯正の状態、その他様々な目の状態、さらには感情や観念、思い込みなど主観的な要素、意識の違いによっても見え方は違ってくる。

完全に同じというのは有り得ず、私たちはある一定の共通認識の下に物を見ていると考えるとどうだろう?

これまでそんなことは考えたこともなかったが、この「一定の共通認識の下に物を見ている」という考えが浮かんだ瞬間、頭の中に、人種のるつぼと言われるアメリカのニューヨークの街角で道路標識を見ている人々の姿が映し出され、私の中でピンと何かが弾けると、それが広がっていった感覚があった。

私は思った。両目はもはや元の状態でないことは確かであるが、私には選択肢がある、と。足りないものを取り戻そうと躍起になる、失ったものを嘆く、今十分にあると満足する。そのうちのどれを選ぶかで、私の心の状態は大きく変わる。

悩んだり苦しくなったりすると、決まってハートから返ってくる言葉があるが、それは「問題視しない」と「(その考えには)広がりがあるか?」である。苦しく感じる時は大抵考えに広がりがない。

私にとって「今十分にあると満足する」の選択肢が最も広がりがあるので、その広がりを感じていると、何がどうであろうと自分は今がベストな立ち位置にいるというところに行き着く。今がベストであると意識すると、たとえ気持ちがざわざわしたり、落ち込んだり、ネガティブな感情が上がってきても、それらは長続きしない。

さらに、苦しい考えは必要のない古いものなので、自分はこの先同じことを続けるか続けないか、というところにも行き着く。そんな時、自分には選択する力があると私は思うようにしている。するとハートは、「続けない」という明確な答えを返してくる。

両目で見える範囲のものは見えているので問題はない。正しいというのはないし、私の見え方がもう昔の状態とは違ってしまっても、視界はクリアーなのだから問題はない。見えていれば良しとしよう。

この「見えていれば良い」というのはかなりゆるく大雑把な姿勢だが、そう考えることでありのままを受け入れられる。すると自分に対して優しくなれるし、何よりもその方が無理がないので心地よい。

心地よいのが一番だ。そのような心の状態でいる時、世界も人々も優しく目に映る。

それは、「見える」ということに対して、これまで私の中にあった古いものが終わりを告げるほど、大きく意識を変化させるものであった。手術をして左右の見え方が違う結果にならなかったら、考えもしないことだった。このことは、文字通り eye-opener (真実に目覚めさせるような出来事) であった。


 

52 私は泉

手術室に入ると、となりのトトロの「塚森の大樹」の曲がかかっていた。手術室へ入る途中で、手術を終えた私の前の患者とすれ違ったが、中学生の女の子だったので、おそらく彼女用にトトロをかけていたのだと思われる。

「塚森の大樹」は、主人公たちが植えた種が芽を出し、勢いよく空へと向かって伸びて大樹になっていくシーンの曲で、私は初めてそのシーンを見た時に、感動してしばらく涙が止まらなかったのを覚えている。

その大好きな曲がかかる手術室には、厳かな森の雰囲気が漂っていたが、右目の時にロックミュージックを褒めたので、それを覚えていたのか、執刀医は私の手術を始める前に、ロックミュージックに切り替えた。 

まもなく手術が始まった。眼球を切開するため視界が真っ暗だった右目の時とは異なり、今回の白内障の手術は、なんとも美しい光と色と水の世界だった。溢れるような水の感触があり、まるで泉の底から水面にゆらゆら揺れる青色やピンク色の光を見ているようだった。 

執刀医の手が動くたびに光が揺れる。思考を止めて水の感触と揺れる光だけにフォーカスすると、私は森の中にひっそりと佇む湧水であるかのような感覚になった。 

ふと我に返ると、バックでかかっているロックミュージックがうるさい。右目の時は、アップビートのロックミュージックがエネルギッシュで心地よかったのに、今回は不快に思うほど音楽が合わない。

入室した時から私の身体はしぃんとしており、穏やかだった。身体の右と左ではエネルギーが違うが、目もそうであった。それはもう太陽と月ほども差がある。右目が男性的でエネルギッシュな太陽だとすると、左目は女性的な厳かな月。

合わない音楽からは意識をそらし、私は左目で美しい光と水の世界を味わっていた。この世界には水の流れの音とか雄大な自然、特に森を感じさせる音楽が合うなあ、今「塚森の大樹」がかかっていたらさぞ心地よいだろうに、と思った。 

執刀医の手がゆっくりと時計のネジを巻くような回転の動きを繰り返し始め、それをぼんやり見ていると(目を動かすことはできないので見ていないわけにはいかない)頭がクラッとして銀河のような渦を巻き始め、簡単に変性意識へと入っていきそうだった。危ない、危ない、ここにとどまっていないと・・・。私は丹田に力を入れて意識を一点に合わせて踏ん張った。

それにしても、泉の底から今度は宇宙へも行けそうなんて!目は脳への小さな入り口であるが、神秘との大きな架け橋になっているのだなあと、自分の身体を通して思うのであった。 

この手術で新しく眼内レンズ(人工水晶体)が挿入されるが、水晶体は英語で crystalline lens という。手術前にクリスタルや湧水の夢を見たが、その夢の中でクリスタルの内側で中央から勢いよく湧き出ていた水は、絶えず湧き起こる生命の力として私の目に映った。 

手術中に目だけにフォーカスしていた私の意識は、その湧水として生きている水となり、きらめく光を見ていた。その時の感覚は、幻想的な夢の中でイキイキとしたいのちの輝きを感じ取った時のものと似ていた。 

見た夢の世界と、現実で体験した感覚が重なった。夢は私に物質の中心にある光り輝くいのちという本質を見せてくれ、手術もまたその本質を垣間見させてくれた。 

本質は目には見えず頭で理解するものでもなく、ある一瞬に感じることで受け取れるものである。それに対し、目の手術は精密機械を触るようなもので、非常に物理的な処置である。その物理的・肉体的な世界を通じて、私はその対極にある本質を受け取った。 

対極の状態の中で触れる一瞬であるからこそ、逆に気づきは非常にパワフルなものとなり、地にしっかりと足がつくような感覚をもたらす。肉体を超えた存在である自分が肉体としっかりと繋がることに喜びを覚え、同時に、肉体はそれ自体を通してそれを超えたものに触れることに喜びを覚える。

その両方が合体する時、今ここに生きているということへの喜びが増す。


 

51 家族の共振 – 母編

術前検査の心電図を撮るために他の患者たちと話しながら移動中、ふと遠くのガラスに映った自分の表情を見ると、それは母の顔になっており、私はゾクッとした。顔かたちが母そっくりというのではなく、エネルギーが母そのもので、私の存在が横へ押しやられてしまっているほど、それは強烈だった。 

網膜剥離になった時、鏡に映る自分の目が母の失明した目と重なった瞬間があったと書いたが、左目の手術を前に、またそれが現れた。右目の再手術の時あたりは、鏡に映った自分の顔に最近の父の顔が重なって見えていたとも書いたが、そのように自分の上に重なるように親の顔を観ると言うことが、目の不調が始まってから何度か起こっていた。 

私は思った。家族や親子の関わり合いとは何だろう?生物学的なこと以外に、グループとしてもっと複雑で深いエネルギー場での関わり合いがあるのではないだろうか。 

後で知ったことだが、私の左目の手術待ちであった数ヶ月の間に、母の左目にも変化が起こっていた。左目は緑内障で視野が徐々に欠けてきており、母は視力を失うことを恐れ、毎日それを訴え続けていた時があった。その恐れに比例するかのように、眼科で処方される目薬の数が増え、次第に強い作用のものへと変化していった。

今年の春頃からは新薬を処方され、数ヶ月間点眼を続けていたが、目がただれてドロドロに濁り、顔の左半分が腫れ上がり、母曰く「お岩さん」のようになってしまったそうだ。結局その状態から点眼可能なのは、遡って一番最初に処方された目に最も負担の少ない目薬しかなく、それも点眼は1日に1回だけということになった。それ以上は逆に目に害を与えるのだから、どうしようもない。 

10年以上複数の目薬を1日4回点眼してきた状態から、1種類を1日1回のみになったわけだが、逆に母の目はすっきりして綺麗になった。目が力を取り戻し元気なのである。おまけに視野はほとんど変化していないとのことで、あれほど目薬の数や種類を増やして躍起になっていたのは何だったのかと思うほどである。 

私の左目の手術への流れと並行して、母の左目にも変化が起こっているのは、偶然なのだろうか。私は、親子という小さい単位のグループエネルギーの共振のような、目に見えないものの動きを感じずにはいられない。 

車椅子に乗って手術室に入る時にも、ステンレスの扉に映った私の顔に重なるように母の顔があった。その時、私のこの手術は私だけのものではないと思った。



50 クリスタルと水の世界

入院の前日、私は飛行機に乗る前に親友と会った。テーブルを挟んで座った彼女の首からは大きなクリスタルのペンダントがぶら下がっており、私の目はそれに惹きつけられ、触れてみたくなった。 

彼女から許可を得て手のひらの上に乗せた瞬間、クリスタルの中にある金色に光る細工から何かが勢いよく飛び出してきて、私はビクッとした。私の触覚が金色の光とぶつかると細かい粒子になってパチンと弾け、空間に広がっていったような感覚になった。 

その影響もあったのか、入院する日の朝方、私はいつもとは違う種類の夢を見た。

夢の中で私は小道を歩いていると、いつしか深い森の中にいた。そこには、前方に淡いラベンダー色の光を放つ水たまりがあり、その向こうには薄水色の水たまりや、透明な水たまりがあちこちで輝いている。奥には、それらの源であるV字型の氷河が厳かな姿でたたずんでいる。それ以上ないというほど透明で清浄な空間。私は、全てが美しく光り輝く森と水の世界にいた。

この手の夢を見るのは久しぶりだった。ずっと以前に岩の間を縫うように流れる川の夢を見たことがあり、その時は岩の上のあちこちに色とりどりのクリスタルがあり、水とクリスタルが光り輝いていた。

今回の夢は、その時の夢とよく似た感触を与えるものであり、いずれも幻想的だったが、別次元で実際に存在していると感じさせるほど見るもの全てがイキイキとして、そこに宿るいのちの輝きを放っていた。 

その翌日、手術の日の朝方にも夢を見た。先端が丸みを帯びた柱状の大きなクリスタルが現れ、クリスタルの内側で中央から勢いよく水が湧き出ていた。そのクリスタルは実際私が持っているものであり、水の湧き出る様子は数ヶ月前に岩手と北海道で見たものにそっくりだったため、私は夢と現実が交差している不思議な感覚を覚えた。 

クリスタルのペンダントを着けていた親友に夢のことを伝えると、彼女はほぼ同じタイミングで、とある湧水のことを耳にしたばかりだったという。気になったため、その場所の画像をインターネットで検索してみると、その湧水はまるで瞳のような形をしていた。 

これから手術を受けようとしている私に、クリスタルや水の夢、そして瞳の形をした湧水の存在が集中的に浮上していたのだった。


北海道京極町ふきだし公園にて








49 いよいよ左目に

右目は手術によってクリアーな視界と視力を取り戻し、左目の強度の近視と進行する白内障の影響をカバーしていたので良かったものの、左目は日常生活に支障が出るほど悪化していた。右目の時と同様、手術日は待っていてもなかなか順番は回って来なかった。12月に入って、病院に問い合わせてみると、しばらくベッドに空きがないということだった。

プッシュをすれば年内の手術は不可能ではなかったが、夫との旅行の予定が入っていたため、無理はしなかった。網膜剥離からずっと私を深いレベルでサポートしてくれていた親友は、今回の手術も完璧なタイミングというのがあるので、リラックスしてただ天に委ねていれば良いとアドバイスしてくれた。 

私は、右目の手術の後で見ることになった絵「スターガーデン」の作者フェイス・ノルトンが、彼女が描く絵についてこう語っているのを思い出した。

「私はスピリットとの対話やビジョンから構図やアイデアを受け取って描くが、受け取るタイミングも実際に描けるタイミングも自分が考えているものとは違い、随分待たされることがある。しかし、来る時は完璧な形とタイミングでやってくる。スピリットの時間とマインドの時間は違う」と。 

確かに、年内に両目が揃えば気持ち良いだろうな、年内に片付けてしまいたいというのはマインドの勝手な希望であり、ハートはそんなマインドの都合にはお構いなし。ハートの時間軸は別なのである。 

それから2週間ほど後に病院から連絡が入り、年明け1月4日に手術を行いたいということだった。手術の3日前から抗生剤の点眼が始まるため、左目は2019年1月1日に準備開始となった。「う〜ん、こういう展開だったのかあ」と私はおもわず唸った。 

年末年始を実家で過ごし、今年は1月2日に戻るように復路の飛行機の座席を2ヶ月前から押さえてあったが、手術前日の3日に入院なのでギリギリセーフ。あまりにも日程が無駄なくきっちりなのにも驚いた。 

1月3日の朝、病棟で入院の受付を済ませると、係りの人が言った。

「個室でしたね」

「個室だ!」私は心の中で叫んだ。

後ろに付き添っていた夫は、4人部屋と聞いていたので目を見張った。 

今回は、病院に4人部屋希望と伝えてあった。ところが、手術の連絡時にも4人部屋だと確認したにも関わらず、また個室が準備されていた。 

私は内心ニヤリとした。本心は個室希望だったが、今回は入院日数が少ないので4人部屋で我慢することにしていた。しかし、天の計らいがあるのなら、奇跡のように私は個室を与えられるだろうとも思っていた。友人が手術の件は天に委ねていれば良いと言っていたが、やはり、個人の思考を超えた大きな力によって物事が動いていると確信した。 

私は 1211 号室に案内された。右目の時は一つ下の階だったが、今回はその真上に当たる部屋だった。しかも、部屋番号が右目の時は 1112 で左目の時は1211。11と12が入れ違いのペア?何だこりゃあ〜、おもしろ過ぎる!! 

いえいえ、目は左右でペアですからね。宇宙のジョークか?もう本当に、私は大船に乗った気持ちでいられた。