実際、待合室で待っていると、検査が終わった他の患者が具合悪そうに車椅子の中で顔を伏して出てくる姿に、私は父も同じような様子で出てくるのを想像した。
ところが、全く何事もなかったかのように、明るい表情で父が検査室からひょこひょこ歩いて出てきた時、私は自分の目を疑った。検査はまだこれからかとさえ思った。
ところが、全く何事もなかったかのように、明るい表情で父が検査室からひょこひょこ歩いて出てきた時、私は自分の目を疑った。検査はまだこれからかとさえ思った。
「えっ?終わったの?」
「終わった」
「痛くない?」
「痛いことない」
「気持ち悪くない?」
「気持ち悪いことない」
「歩けるの?」
「歩ける、全然大丈夫」
「痛くない?」
「痛いことない」
「気持ち悪くない?」
「気持ち悪いことない」
「歩けるの?」
「歩ける、全然大丈夫」
検査結果は異常なしということで、それから2ヶ月後に鼠径ヘルニアの手術となった。
その時も父は、手術の翌日退院時に車椅子を使うこともなく病院の出口まで自分の足で歩き、自宅に戻った夜は、二階で寝ると言って階段を上がって自分で布団を敷いてしまった。ヘルニアはかなり肥大していたので通常よりも大きく切ったということで、傷口は10センチ以上であるにも関わらず、である。
その時も父は、手術の翌日退院時に車椅子を使うこともなく病院の出口まで自分の足で歩き、自宅に戻った夜は、二階で寝ると言って階段を上がって自分で布団を敷いてしまった。ヘルニアはかなり肥大していたので通常よりも大きく切ったということで、傷口は10センチ以上であるにも関わらず、である。
体も小さくなり、体力が衰えてよちよち歩きになってしまった父は、果たして手術に耐えられるだろうか、術後の経過は大丈夫だろうかと心配していた私の目の前で、父は信じられない行動を取っていた。直接押さえない限り痛みもないそうで、退院日の夜からは普段と変わらない食事をし、いつも通りに動いて、淡々としている。
考えられない。この現実は何?父は人間離れしてない?
私が予測した状況と実際の状況のあまりにも大きなギャップに、私は戸惑いさえ覚えた。でも本当は痛かったかもしれない。父は我慢強い人なのだ。