2019年3月3日日曜日

23 1ミリでも違ったら・・・

7月はアメリカで恒例の5泊6日のタッチドローイング・ギャザリングがあり、通常私は5月までに参加申し込みをするが、今年は時期が来ても手続きをしようという気分にいまひとつならなかった。 

目の手術日は順番待ちで未定のままなので、もし重なったとしても、こちらの都合を先に告げておけば調整できる。むしろ以前なら、ギャザリングを第一に優先させていただろう。自分のワークや活動のことを考えたら、参加して体験を重なることは大きなプラスになる。目が見えづらい状態だからこそ参加して、ドローイングを通して目との対話をさらに深めてみようという考えを持つことさえできた。 

しかし今回は、本当に参加したいかというところで、ハートからは NO という答えがあった。見えづらいので、大きな荷物を持って移動など何をするにしても面倒だというのが最も表面的な理由で、過去に4回参加して十分に濃い体験ができたことに既に満足していた部分もあった。しかし、何度も頭に浮かんできたことは、毎回ギャザリング前半に集中する参加者の怒りや悲しみの感情のシェアには、もうあまり興味がないということだった。 

それさえも私の思い込みで、最初から場はこれまでとは全く違うエネルギーで全く新しい体験ができたかもしれない。しかしハートは NO で、参加することに対して感覚はやはりピンとこない。 

結局それでよかった。その後、父の鼠径ヘルニアが悪化し、手術をするという展開になったが、手術予定日がタッチドローイング・ギャザリングの開始日に当たった。付き添いや術後のケアで私は実家にいる必要があるので、参加申し込みをしなくて本当によかった。 

最近は自分の感覚を使うことが多くなり、違和感が少しでもあれば、それを尊重することにしている。許容範囲はどんどん狭くなっているかもしれない。言い換えれば、感度が上がっている。そのうち自分の感覚と1ミリでも違えば、NO になるのかもしれない。