2019年3月3日日曜日

45 魂の仲間

私の目が見えづらくなっていくことで、物理的に負担になることをやらなくなり、これまでやってきた活動から一旦降りたことを書いたが、実家との関係においてもそうだった。

私はどんなこともできて、何でも即座に解決できると勘違いされているのか、母は私に何でも頼んできた。そのため断らない限り、引き受ける負担がどんどん増えてしまっていた。それでも頑張ってやり続けていたが、あの頃、私は大きな荷物を背負っていたり、荷物を両手にいっぱい持っている夢を何度も見ていた。 

アメリカで網膜剥離の手術をし、しばらく帰国できなかった時、ああこれで実家から電話もかかってこないし、私は一人でのんびりできるとホッとしている自分に、実家がこれほど自分にとって負担になっていたのかと気づかされたことを覚えている。 

実際、目の不調は私をサポートしてくれていた。私の両目の状態が母の片目よりも悪いことを目の当たりにした時から、母は自分のことよりも私を気遣うようになり、私が来るまで待つのではなく、自分でタクシーを使って医者へ行ったり、私に頼むのではなく、自分で電話をして注文や配達の手配をしたりと、できることは自分でするようになり始めた。私も目が疲れるからそれはしたくない、できないと断ることが増え、断ることに罪悪感を感じないようになってきた。 

目が不調だというと、病気だとか何か悪いことのように捉われがちだが、母娘の天秤棒の傾きに変化を起こす助けにもなってくれていた。私にとってこの不調は災難ではなく、むしろ盟友である。 

全てが変化していく中、家族の動的バランスも変化するのは当然だろう。私は母は私の敵ではなく、私の教師、強烈な形で教えてくれる魂の仲間だと思っている。そして、母にとって、私も強豪の娘役を買って出た仲間なのだろう。 

夕方、家事の合間に二階へ上がっていくと、部屋に私の布団が敷かれていた。「あれっ、布団が敷いてあるけど」と言うと、母が「私にはこれくらいのことしかできないから、せめてものお礼に、心を込めて布団を敷かせてもらった」と言った。 

その夜、部屋に戻って改めて布団を見てみると、隅まできちんと広げて丁寧に敷かれており、母の愛が伝わってきて涙が溢れた。「これくらいのこと」ではなく、それ以上のものはないほど大きかった。 

翌日実家を出る前に、私は母の目の奥を見つめて「お母さんは私のことを怖がって、私も時々厳しかったりひどいことを言うけれど、それはお母さんを信じているからだよ。信じているからこそ、そうしているんだよ。そうでなかったら、そんなことは言わない」と言うと、母は私の目を見つめてじっと聴いていた。 

それは本当のことだった。母がどれほど自分に自信がないと言って(随分昔からそう言ってきた)嘆いても、私は母を信じており、それは変わることはない。そして実際に、母は自分には何もできないと言いながら、とても大きいことをしているのだ。