2019年3月3日日曜日

52 私は泉

手術室に入ると、となりのトトロの「塚森の大樹」の曲がかかっていた。手術室へ入る途中で、手術を終えた私の前の患者とすれ違ったが、中学生の女の子だったので、おそらく彼女用にトトロをかけていたのだと思われる。

「塚森の大樹」は、主人公たちが植えた種が芽を出し、勢いよく空へと向かって伸びて大樹になっていくシーンの曲で、私は初めてそのシーンを見た時に、感動してしばらく涙が止まらなかったのを覚えている。

その大好きな曲がかかる手術室には、厳かな森の雰囲気が漂っていたが、右目の時にロックミュージックを褒めたので、それを覚えていたのか、執刀医は私の手術を始める前に、ロックミュージックに切り替えた。 

まもなく手術が始まった。眼球を切開するため視界が真っ暗だった右目の時とは異なり、今回の白内障の手術は、なんとも美しい光と色と水の世界だった。溢れるような水の感触があり、まるで泉の底から水面にゆらゆら揺れる青色やピンク色の光を見ているようだった。 

執刀医の手が動くたびに光が揺れる。思考を止めて水の感触と揺れる光だけにフォーカスすると、私は森の中にひっそりと佇む湧水であるかのような感覚になった。 

ふと我に返ると、バックでかかっているロックミュージックがうるさい。右目の時は、アップビートのロックミュージックがエネルギッシュで心地よかったのに、今回は不快に思うほど音楽が合わない。

入室した時から私の身体はしぃんとしており、穏やかだった。身体の右と左ではエネルギーが違うが、目もそうであった。それはもう太陽と月ほども差がある。右目が男性的でエネルギッシュな太陽だとすると、左目は女性的な厳かな月。

合わない音楽からは意識をそらし、私は左目で美しい光と水の世界を味わっていた。この世界には水の流れの音とか雄大な自然、特に森を感じさせる音楽が合うなあ、今「塚森の大樹」がかかっていたらさぞ心地よいだろうに、と思った。 

執刀医の手がゆっくりと時計のネジを巻くような回転の動きを繰り返し始め、それをぼんやり見ていると(目を動かすことはできないので見ていないわけにはいかない)頭がクラッとして銀河のような渦を巻き始め、簡単に変性意識へと入っていきそうだった。危ない、危ない、ここにとどまっていないと・・・。私は丹田に力を入れて意識を一点に合わせて踏ん張った。

それにしても、泉の底から今度は宇宙へも行けそうなんて!目は脳への小さな入り口であるが、神秘との大きな架け橋になっているのだなあと、自分の身体を通して思うのであった。 

この手術で新しく眼内レンズ(人工水晶体)が挿入されるが、水晶体は英語で crystalline lens という。手術前にクリスタルや湧水の夢を見たが、その夢の中でクリスタルの内側で中央から勢いよく湧き出ていた水は、絶えず湧き起こる生命の力として私の目に映った。 

手術中に目だけにフォーカスしていた私の意識は、その湧水として生きている水となり、きらめく光を見ていた。その時の感覚は、幻想的な夢の中でイキイキとしたいのちの輝きを感じ取った時のものと似ていた。 

見た夢の世界と、現実で体験した感覚が重なった。夢は私に物質の中心にある光り輝くいのちという本質を見せてくれ、手術もまたその本質を垣間見させてくれた。 

本質は目には見えず頭で理解するものでもなく、ある一瞬に感じることで受け取れるものである。それに対し、目の手術は精密機械を触るようなもので、非常に物理的な処置である。その物理的・肉体的な世界を通じて、私はその対極にある本質を受け取った。 

対極の状態の中で触れる一瞬であるからこそ、逆に気づきは非常にパワフルなものとなり、地にしっかりと足がつくような感覚をもたらす。肉体を超えた存在である自分が肉体としっかりと繋がることに喜びを覚え、同時に、肉体はそれ自体を通してそれを超えたものに触れることに喜びを覚える。

その両方が合体する時、今ここに生きているということへの喜びが増す。