2019年3月3日日曜日

27 準備ができた

3月に申し込みをした私の目の手術は、なかなか順番が回ってこなかったが、私は100%その準備ができていたのかというと、おそらくそうではなかっただろう。心の底から自分が準備が整ったと思えるまで事は動かなかった、と今だからこそ言える。 

北海道と岩手を訪れた後、やっとタイミングが巡ってきた。脳裏に繰り返し浮かび始めたある事柄が、内側からのシグナルだった。 

2年前に網膜剥離の手術をしてまだアメリカで療養しており、自分の目は回復するのかどうか不安であった時、深いレベルからずっと私をサポートしてくれていた愛知の親友が、私の目に意識を向けると、ある映像が浮かぶと話してくれた。

それは、目の前に白っぽく厚いスクリーンのようなものがあり、私はそれをカッターナイフで縦横に切って、そこから自力で外で出て行くというものだった。 

破れた網膜はくっついているのに、なぜまたスクリーンを切らなければならないのかつじつまが合わず、彼女に見えた映像は私にとっては意味不明だったが、実際日本へ戻ってから受けた地元の病院での診察で、網膜の上に膜が出来ていることがわかると、友人はあの時点で既にそれをキャッチしていたのかもしれないと思えてきた。 

北海道から戻ったあたりから、私の脳裏に彼女の言葉とその映像が幾度となく浮かび上がるようになり、次第に膜の色や質感、厚ささえもはっきりとイメージができるほど、リアルに感じられるようになっていった。また、取り除かれるということに膜自体も了解し、準備が出来ていると感じられるようにもなっていった。 

違和感も抵抗もなく気持ち良くイメージできるようになった時、私は病院に問い合わせてみた。すると、どうやら以前のコミュニケーションにミスがあったようだった。 

3月に手術の申し込みをした時、私はその頃実家の世話やアメリカへ行く可能性を考慮して、手術日はできれば2週間前に知らせて欲しい、部屋は個室を希望すると伝えた。

ところが、病院側では手術日は1週間前に患者に知らせ、部屋は基本的に4人部屋というのが通常のパターンで、2週間前では予定を組めず、急患が入るため個室も確約できないため、私にずっと連絡できないでいたとのことだった。軽い気持ちで希望したのが、相手にとっては無理難題だったのだ。 

手術の予定表をチェックしてもらうと、翌月に可能性のある日が2つほどあるという。4人部屋だと確率が高くなるということだったので、「それなら私は個室ではなく4人部屋で構わないし、1週間前の連絡で良いです」と伝えると、相手側も安堵した様子で、「そうしていただけるなら非常に助かります。4人部屋希望に変更して、後ほど手術日が確定したら連絡します」と言った。 

私は心の準備ができたからこそ、自分から連絡してみようという気になったのだろう。実行に移すとすぐ目の前に可能性が見えてきたので、宇宙の GO サインが出たと捉えた。そこから先はこのタイミングをつかみ、こだわりを捨てて柔軟に流れに乗ろうと思った。