2019年3月3日日曜日

51 家族の共振 – 母編

術前検査の心電図を撮るために他の患者たちと話しながら移動中、ふと遠くのガラスに映った自分の表情を見ると、それは母の顔になっており、私はゾクッとした。顔かたちが母そっくりというのではなく、エネルギーが母そのもので、私の存在が横へ押しやられてしまっているほど、それは強烈だった。 

網膜剥離になった時、鏡に映る自分の目が母の失明した目と重なった瞬間があったと書いたが、左目の手術を前に、またそれが現れた。右目の再手術の時あたりは、鏡に映った自分の顔に最近の父の顔が重なって見えていたとも書いたが、そのように自分の上に重なるように親の顔を観ると言うことが、目の不調が始まってから何度か起こっていた。 

私は思った。家族や親子の関わり合いとは何だろう?生物学的なこと以外に、グループとしてもっと複雑で深いエネルギー場での関わり合いがあるのではないだろうか。 

後で知ったことだが、私の左目の手術待ちであった数ヶ月の間に、母の左目にも変化が起こっていた。左目は緑内障で視野が徐々に欠けてきており、母は視力を失うことを恐れ、毎日それを訴え続けていた時があった。その恐れに比例するかのように、眼科で処方される目薬の数が増え、次第に強い作用のものへと変化していった。

今年の春頃からは新薬を処方され、数ヶ月間点眼を続けていたが、目がただれてドロドロに濁り、顔の左半分が腫れ上がり、母曰く「お岩さん」のようになってしまったそうだ。結局その状態から点眼可能なのは、遡って一番最初に処方された目に最も負担の少ない目薬しかなく、それも点眼は1日に1回だけということになった。それ以上は逆に目に害を与えるのだから、どうしようもない。 

10年以上複数の目薬を1日4回点眼してきた状態から、1種類を1日1回のみになったわけだが、逆に母の目はすっきりして綺麗になった。目が力を取り戻し元気なのである。おまけに視野はほとんど変化していないとのことで、あれほど目薬の数や種類を増やして躍起になっていたのは何だったのかと思うほどである。 

私の左目の手術への流れと並行して、母の左目にも変化が起こっているのは、偶然なのだろうか。私は、親子という小さい単位のグループエネルギーの共振のような、目に見えないものの動きを感じずにはいられない。 

車椅子に乗って手術室に入る時にも、ステンレスの扉に映った私の顔に重なるように母の顔があった。その時、私のこの手術は私だけのものではないと思った。