でも、私は我慢しなくて良かった。それに対して迷いがあった時、むしろぶつかって良しということを、私は意外な形で教えてもらった。
母と激しい応酬を繰り返していたある夜、それをじっと聞いていた父に「もうこの辺で終わりにしたら」と言われたことがあった。燃え盛る怒りと共に二階へ駆け上がった私は、一人になるとクールダウンし始め、母に対して随分酷いことを言い、父にも嫌な思いをさせて、優しくしてあげなければいけない高齢の親に対して私はなぜあんなことをしたのだろうと罪悪感が頭をもたげ、呼吸が速くなって胸がドキドキした。
その呼吸を落ち着かせるために、目を閉じて深呼吸をしていたら、父と母と私のハイヤーセルフ(?)が手を取り合い、「よくやったね〜、ゴーカクー」と喜び合ってグルグル回っている映像が浮かぶのである。
「へっ?」
拍子抜けしてしまうほど、私たち三人は楽しそうに仲良く笑いガッチリ手を握り合っており、その様子を感じていると、三人の間から発せられている眩しい光が私を包んだ。このぶつかり合いは、互いの成長のために通る一場面にしか過ぎないのか?私のハートは、言い合いの奥にあるものの方が本当なので、表面的な幻想に惑わされるなと言っているようだった。
今までとは違う路線に組み変わる時には、これまで乗ってきたレールが古く錆びていたなら尚更、ガチンと衝撃があっても仕方ない。
私は母に謝る気はなかった。お互いに言いたいことをぶつけ合っていただけで、謝る理由はないからである。
ただ、私は三人が輪になってグルグル回っているあの映像や、言い合いは幻想であってこの映像が本当だという声に対して、鵜呑みにせず慎重に構えていた。それが本当なら、何らかの形でそうだと教えてくださいと天に頼んだ。
翌朝私が台所で朝ごはんの支度をしていると、母が起きてきて、昨夜二人の間で何かあったようだけれど、何があったか覚えていない、思い出せないと言った。
私はそれが天の答えだと思った。
母の方に振り向いて、私は言った。
「いや、特に何もなかったよ。覚えてないなら、全然気にしなくていいんじゃない? ご飯食べよう」