特定の人だけが際立つことも主張することもなく、まるでトーキングスティックを回しているかのように、それぞれのタイミングで語る毎にそこにスポットライトが当たり、聞く側は傾聴していた。個性がそのままそこにあり、共にいて溶け合っている温かさと心地よさ。
それはアメリカのタッチドローイングリトリートでごく自然にできる場であり、私が日本で行うタッチドロ−イングワークで理想としている場だった。ああ、このメンバーで集まれて本当によかったなあと思った。
翌日、余市のストーンサークル(環状列石)を訪れた時、私が感じていたことが、具体的な形で現れた。
歩く瞑想のように、沈黙の中で私たち6人は、ストーンサークルの周りを歩いていた。私は足元に意識を集中して歩いていたが、ある時に自然に足が止まり、サークルの内側に向きを変えて顔を上げると、申し合わせたわけでもないのに、後の5人がそれぞれ等間隔に立っていて、同じように内側を向いていた。
その後もしばらく沈黙の中にいると、音を発したいという衝動が私の中から起こった。するとその衝動を感じ取ったかのように、向かい側にいる人の口からごく自然に小さな音が出た。そこから残りのメンバーが、各々の音を同じようにサークルの中心に向かって発し始め、波動が空間の中央で心地よく紡がれていった。
今度は音と共に緩やかに体が動き、皆が感じるままに動いていた。そこに、誰かが際立つことはなく、等間隔で横に繋がっていく穏やかでしなやかなエネルギーを私は感じた。
今度は音と共に緩やかに体が動き、皆が感じるままに動いていた。そこに、誰かが際立つことはなく、等間隔で横に繋がっていく穏やかでしなやかなエネルギーを私は感じた。
しばらくすると、スーッと波が引いていくように音は消えていき、沈黙のまま一人ずつサークルを離れていった。縄文遺跡で自発的に行われたこの一連のことは、私にとって個と集合体が同時に成立し、見事に溶け合った体験だった。
実はほぼ毎回、私のワークショップで発声やムーブメントを織り込んでこのような空間へと誘導するが、ここでは誘導があるとしたら、それは各々の直感と感覚のみだったろうと思う。