2019年3月3日日曜日

20 はち攻め

北海道に到着した日、千歳空港からゲストハウスまでの途中で立ち寄った神社でスズメバチが目の前で静止し、その後に訪れた場所でハチの巣を拾った、と書いたが、実は他にもハチに関するエピソードが続く。 

みんなで泊まったゲストハウスの庭で、翌朝ハチの巣を守る一匹のハチに遭遇し、ストーンサークルでは、先の神社で起こったことと同じことが起こった。 

ストーンサークルを眺めていると、メンバーの一人が持っていたネイティブアメリカンドラムを叩きたい気分になったので、私はそれを借りて叩かせてもらうことになった。

ドラムを手に持つとすぐに、ブーンと音がしてどこからともなく勢いよくハチが飛んできて、また私の目の前でしばらく静止すると、飛び去っていった。 

他のメンバーも私の周りにいたが、誰もハチにひるむ人はおらず、ただ起こっていることを観察しているようだった。視界がぼやけているので私には見えなかったが、ハチはストーンサークルの中へと飛んで行ったと、後から教えてもらった。 

その後、縄文信仰の場所でもハチの巣を見つけたり、8が連なるナンバープレートの車に何度も遭遇したりと、北海道に来てからやたらと「はち」が目につくようになった。 

物事は物理的な事実だけを見て理性で処理する方法と、それを動かす根底にあるエネルギーを直感や感覚を通して読み取るという方法があるが、このようにハチや8との遭遇が短期間に頻繁に起こると、私の性格上、さすがにそれを見たとだけにとどめることはできなくなる(苦笑)。 

私にとって、自然界から受け取るメッセージは常に広がりがあり、気づきを与えてくれるものであり、日常を支える力となってくれている。

北海道から戻ってから、私はアメリカから大切に持ってきたテッド・アンドリューズ著 ”Animal Speak” でハチの意味を調べてみた。解釈は複数あり、それらを信じる必要は全くないが、最も感覚的にピンとくるものが、今の自分にとってのメッセージだと私は捉えている。 

それによると、他の生き物と比べてみると、ハチは体の大きさに対して羽が小さいため、空気力学的見地から飛ぶことは不可能と考えられているが、実際に飛ぶことができる。それはハチドリにも共通していることであるが、羽を高速に動かすことで、飛ぶことが可能になっているとのこと。その特性から、ハチは物理的には不可能と考えられていること、その不可能を可能にすることの象徴であるという。 

「羽を高速に動かす」という言葉から、私は高速で振動している状態 = 高波動の領域にいる → その領域で起こることを体験する、と連想した。 

ハチの高速で振動する羽音は滑らかである。でこぼこ道ではなく、滑らかな表面を軽やかに滑っていくように物事が移っていった今回の北海道の旅は、計画の段階から予想を超えた展開になり、頭で考えるレベルをはるかに超えた体験ずくめだった。 

目の前にまだ知らない世界の扉が無数に開かれており、知り得ないことに対して心を開き、自分の感覚や直観を使うことで、驚異と喜びに満ちた新しい現実を体験し得ること、以前ではそんなことは不可能と思えることが簡単にできてしまったり、自然に起こるということを知った。 

それは与えられるような形でやってくるが、もとを正せば、自らの選択によって創造し体験しているのであろう。

自分が体験する世界が今までとは違った感覚を伴って速いスピードで変化していく中、8から連想する無限大のマークのように、可能性という扉はきっと無限にあるのだろう。そう考えると、この速い流れの中で、どんどん新しく塗り替えられていく自分を楽しむことが、ますます楽しくなってくる。


Deborah Koff-Chapin 作、 私のエネルギーを感じ取って描いた一枚