検査だけなら姉一人でもよかったので姉に任せることもできたが、私は既に手術に備えて往復の飛行機の予約をしてあったので、あえてキャンセルはせずに、再び実家へ行くことにした。後から思えば、それも完璧だったのかもしれない。
中部空港へと降下する飛行機の窓から、私は海を眺めていた。台風の進路が途中で逆向きになり、西日本に豪雨を降らせている最中だった。
河川から伊勢湾に茶色い水が流れ込み、いつもは青い海が、今は広範囲に渡って黄土色になっている。その黄土色の水の中を漁船やコンテナ船が行き来している。名古屋空港へはこれまで何十回も降り立っているが、こんな光景を見るのは生まれて初めてだった。今、とてつもないことが起こっていると思った。
河川から伊勢湾に茶色い水が流れ込み、いつもは青い海が、今は広範囲に渡って黄土色になっている。その黄土色の水の中を漁船やコンテナ船が行き来している。名古屋空港へはこれまで何十回も降り立っているが、こんな光景を見るのは生まれて初めてだった。今、とてつもないことが起こっていると思った。
翌日に検査を控え、父は下剤と検査食をきちんと取り、便を出して水に近い状態にする必要があった。88歳間近という高齢の体で下剤を飲んで、痛い内視鏡検査を受けなければならない父が気の毒に思えた。過去に二度も大手術をしているのに、此の期に及んでまた検査や手術を受けなければならないなんて。
父は、自分は高齢だからもう手術は一切したくないとこれまで何度も言っていたが、ヘルニアがこれ以上放置できない状況になってしまったのだから仕方がない。それはそれとして、もし大腸に腫瘍ができており、そのための手術も必要だとしたら、あまりにもかわいそうで私は宇宙を恨むであろう。
意外にも、父は検査も手術もあっさりと受け入れて、きちんと指示に従っていた。下剤の説明書きの中に、段階を追った便の変化と理想の便の色を示すカラー写真があり、便が出るたび、私は父に今どの段階か確認した。
その夜、父の手助けをしていた横で、テレビの画面に豪雨の被害の様子が映し出された。それを見ていたら、急に不思議な感覚になった。というのは、次から次へと体内に入り、腸内を洗浄していく大量の水は、腸にとってはまるで豪雨が襲ってきたようなもので、写真が示す便が大方押し流された後の色は、私が中部空港の上空で飛行機の中から見た海の色と同じだったからである。
父の体内と西日本地域で起こっていることが、奇妙な形で重なっているように思えてならなかった。
父の体内と西日本地域で起こっていることが、奇妙な形で重なっているように思えてならなかった。