2019年3月3日日曜日

13 異空間にいた

その後の展開は、まったく予想だにしないものであった。

あらかじめ立ててあった計画は、ほとんど意味のないものになってしまった。というのも、目的地を設定してもそこへたどり着けないからだ。たどり着く前に奇妙な形で他の場所へ導かれたり、移動中に誰かが閃いたりするので、計画のコースからどんどん逸れて行き、当初の計画は放棄するしかなかった。 

私たちは、縄文時代に遡る自然信仰の場所で祈り、その場所を北斗七星とつなげ、そこで感じるままに動き、岬から青緑色の海を眺め、今まで見たこともない昆虫や植物と出会い、夕方暗くなるまで浜で膝上まで海水に浸かって、底で青白く光るめのうの石を拾った。 

私は仲間と共に、時間を忘れて自然の中にどっぷり浸り、導かれる場所のエネルギーに触れ、受け取るインスピレーションに従って動く楽しさやワクワク感を味わった。 

その日一日、私たちは異空間にいたように感じられた。目的地へ行き着く前に別の場所に引き寄せられ、そこで何かに出会う。閃きによってまた別の場所へ導びかれ、自然と戯れる。その繰り返しだった。 

コントロールをしていないからこそ、感じ取れる大きな流れがある。その大きな流れの中に身を投じると、そこには通常とは異なる時空間があった。互いにその時その時に感じることをシェアすることで、そこから先が決まっていき、私たちは一緒に流れていった。 

そこで自然が見せてくれたのは、綿毛をつけたタンポポが一面に広がる原だったり、透明の楕円形の中に黄金色の体がある小さな昆虫だったり、熱帯にいるのかと錯覚してしまいそうな巨大な植物だったり、散りばめられた宝石のように水面で揺れる太陽の光だったり。 

自然は、私たちに次から次へと与えてくれる。ハートに飛び込んでくるものを丸ごと受け取って流れの中で体験するのは、子供の頃にあったような驚きや喜び、ワクワク感。ただただ楽しい。嬉しい。 

みんなと一緒にいても、私の頭の中は空っぽだった。先のことは考えず、ただ「今」だけに集中していても、それが今=心地よい・楽しい、次の瞬間=心地よい・楽しい、次の瞬間=心地よい・楽しいという具合に、瞬間瞬間がずっと続いていった。これは、私にとって全く新しい体験だった。ああ、宇宙は今回それを見せてくれているのだ、と思った。 

すると、私の中から言葉が湧き上がってきた。 

「目的を掲げて成し遂げることそれ自体よりも、そこへの過程で起こること、その起こること一つ一つを味わい楽しむことこそが人生。生きているこの場所は、共鳴する仲間とスピリットたちとの共同創造の場だと意識すると、人生は違った色を帯びてくる。瞬間瞬間の感覚やインスピーションを分かち合うことで、さらなる創造へと発展する豊かな可能性に満ちている。子供の遊びのようなワクワク感や楽しさ、エキサイトメントに満ちた人生を創造し、それを体験することができる。それを可能にするのは、他でもない、自分という創造者」。 

夕方になり、解散の時が来た。2日間だったが数日間、いやそれ以上一緒に過ごしたような充実感があった。私たちは互いに抱き合って別れたが、離れていても繋がっていることを知っているから、大丈夫。心は温かく穏やかだった。


この不思議な昆虫は「ジンガサハムシ」という名前だそう