アメリカで網膜剥離になり右目の視界がほとんど真っ黒になってしまった時、鏡に映る自分の目が母の失明した右目と重なった瞬間があり、その時本能的に、私は自分に必要でないものは母から引き継がないことを決めた。
意志を持って何かを決める時、エネルギーが大きく動く。そこから関係性の変化が始まったと言える。自分の軸が強化されるに従って、母と同化されていた部分が浮き彫りになり、違和感とイライラが募っていった。
それでも、しばらくはずっと我慢していた。私の子供の頃からの癖である。なぜ我慢をするのかというところを探っていくと、奥に「守りたい」という気持ちがある。私は子供の頃から、親のためになら死ねるとずっと思ってきた。それほど自分にとっては特別に大切な人達だった。そのことを初めて父と母に打ち明けたいと思った時がやって来た。
私は、実家にいたある夜、父と母の前でそのことを伝えた。二人ともじっと聞いていた。話し終わると父が「なんて素晴らしい話なんだ、親のために死ねるなんて、こんな親孝行はない」といって褒めてくれた。そのすぐ後に、母が「子供に守られるなんてどういうこと?!それは親に対する最大の侮辱だ、私はそんな情けない親か!」と言って激怒した。
その瞬間、私はわかった。両極だ、私はこれを与えられている、子供としてその間に立つ、と。それと同時に、否定的な感情を吐き出す母に、嫌だと思いながらも子供の頃からあれほど寄り添って受け取ってきた自分のことを、母は何もわかってはいなかったのかと思うと、これまでのことがバカらしく思えてきて、引きずってきたものが吹っ切れた。
その直後に、母が私をわかっていなかったのではなく、私が母に対してこう思っていて欲しいという期待があったのだと気づいた。あれほど母のことをわかっていると思っていたが、結局私は母のことは何も知らないのかもしれない、とまで思った。そう思った瞬間に、私の頭の中でパンと小さな衝撃音があり、一瞬で私が大きく後ろに下がり、そこに隔たりができた感覚があった。
そこからは、今まで思ったことを言えなかった私は、まるで敗者復活戦であるかのように、実家へ行くたびに母と激しくぶつかった。
ものの見方や考え方がもう随分違ってしまっていること、同じスペースにいても、互いにかなりかけ離れた世界にいることを嫌という程見せられた。実家へ行くたびに、母の口から壊れたテープレコーダーのように過去の否定的な体験が詰まった古いプログラムが何度も再生され、母に「あなたが違う人になってしまったので、私はあなたのことが怖くて怖くて仕方がないが、自分に自信がなく、自分には何の力もないからあなたにしがみついていたい、自分はただもう早く死にたいと思っている」と言われ続けた。
どんなに母が嘆いても、以前は疑うこともなくいた場所に、私はもう戻ることはできない。しばらくの間母とのぶつかり合いを繰り返しながら距離を作っていき、私は自分の新しい立ち位置を築いていった。