2019年3月3日日曜日

30 星の乱舞

定期的に実家の両親の世話をしている中で見えづらさが増す一方、父の検査や手術のことも重なって、自分の手術はいつになるのかと考えると不安になることが何度かあったが、意識をハートに向けてみると、決まって「手術日は最初から決まっているからリラックスしていれば良い」という答えが返ってきていた。 

本当にそうなのだろうか?それを信じると安心し、信じないと不安に駆られる。どちらにとどまるのが賢明なのかは、火を見るよりも明らかである。この手術もあらかじめ決まっている人生の出来事のひとつだと考えると、丹田のあたりに力が入るのであった。あとは余計なことは何も考えない。それが一番だ。 

入院日の前日は、七夕まつり前夜祭の花火祭りの日だった。打ち上げ場所が新たに整備されたので、前年のように家から見ることはできないと思っていたら、今年も場所に変更はなかったようで、食事をするリビングの窓の外が、打ち上げられた花火が座っている目の高さでパッと開く大スクリーンとなった。

入院したらしばらく夫と食事を共にすることができなくなるので、その日の夕食は私にとっては少し特別な意味があったが、自宅で豪華な花火のディナーショーを楽しめるとは! 

次々に打ち上げられるきらびやかな花火を見ていると、「祝福だ、今宵は祝祭だ」という言葉が浮かび、私をサポートしてくれているガイドスピリットやたくさんの魂の存在たちが喜びながら空から声をかけてくれているように感じられ、胸が熱くなった。 

手術がイベント的な興奮に包まれているというのも妙なものだが、それに似たものが私の心の中に、そして空にも広がっていた。そして今、この花火の夜のことを文字にしていると、スルスルと紐解くように記憶の中の場面が現れた。 

網膜剥離になった時、目の中の闇にフォーカスするとそこに宇宙空間があり、色とりどりの星々が現れた。私はその星々から、昔何度か見た深い夢を思い出したのだった。

それは、夜空いっぱいに散りばめられた色とりどりの星が意志を持っているかのように活発に動き出し、花火のようにいくつもの輪になってクルクル回転する光景で、星々の歓喜に満ちた乱舞だった。

私は、その夢を見ながら、星々は空を仰いでこちらから眺める対象ではなく、意志を持って向こうから私に語りかけてくる自分と同じ生命体であると強く感じたのだった。 

今、その夢の中の星の乱舞と花火祭りの花火が重なり、右目の再手術は私にとって魂が約束してきた、通常のスケールを超えた重要なプロセスのひとつであることを再確認したのだった。