2019年3月3日日曜日

6 禅寺にいるような日々

目を使わないようにしているため、外から情報が入ってこない。じっとしていることが多く、一日の大半が瞑想状態と言っても良いほどである。

安定した穏やかな心の状態で、頭を空にして所作にフォーカスするというシンプルな毎日が続く。掃除する時は、掃除することだけにフォーカスし、玉ねぎの皮をむく時は、皮をむくことだけにフォーカスする。しかも丁寧にゆっくりとやる。 

ペースが落ちることで、自分の行動や考えに、より意識的になれる。外からの刺激が少ないので気が散ることがなくなり、自分の感覚により気づきやすくなる。 

人と一緒にいるのも楽しいが、一人でいる時も楽しい。座っているだけで満ち足りた気持ちになるので、他に何もいらないという瞬間が増え続ける。

満ち足りているから穏やかで、ペースが落ちる。外へ出ても、一歩引いて人に譲る余裕ができてくる。余裕があるというのは、何とも豊かなことである。 

そのような日々の中で、おのずと新しい姿勢が生まれた。 

今までいた環境で以前と同じように機能できるよう、変化した自分を無理に合わせようとするのではなく、今の自分に合う環境を自分に与えようと思うようになった。 

見えない時は人に聞けばよく、見づらいことを説明して人にやってもらったり、教えてもらう。パソコンやスマホの表示文字を大きくしてみたり、紙にはボールペンではなく太いペンで書いてみたり。感覚も意識的に使う。触って確かめたり、耳をそば立てたり。すると、体全体の触覚の感度も上がっていく。

それらはほんの些細なことであるが、今までやっていなかったことをやるという意味で、私にとってエキサイティングで楽しいことだった。