と言うよりも、最後に受けたセッションで、リーディングに対する私の期待や理解が吹っ飛んでしまったから行こうという気持ちになっていない、と言った方が正しい。
その最後のセッションは、網膜剥離になる半年ほど前だった。古老はリーディングの射程距離として、この先半年くらいの流れを語るが、私は最後の部分以外は、この時のセッション内容は覚えていない。
私はおそらく最後に、私自身の今後の全体的な流れについて、何かメッセージはありますか?と聞いたと記憶している。これまで私がした質問の中で、最も漠然としたものだった。
スピリットからどんなメッセージが出るのかと、私はじっと待っていた。
古老はその質問を受け取ると頷いて、首を斜めに上げてじっと意識を集中して待っているようだったが、しばらくして肩をすくめると、首を横に振りながらこう言った。
「おおおぉ〜、彼らはワシに教えてはくれん。聞いても答えてくれんのさ」
「ええーっ?そんなのあり〜ぃ??」私は心の中で驚いた。
「彼らが口をつぐんでいるんで、ワシは何も言えんのだよ」
古老は、ちょっと困ったような顔をして微笑んだ。
「・・・・・」
二人の間にしばらく沈黙が流れた。
黙っているということは・・・と勘繰り始めた私の頭の中は、スピリットたちにはガラス張りである。古老は、慌てて付け足すようにこう言った。
「ただ、これだけは言っておこう。You have an incredible journey ahead of
you(この先 incredible な旅が待っている)。ワシからも祝福を!」
そう言って、古老は両手を広げた。
今だからわかる。黙っていて当然だ。「君はこれから網膜が破れ、失明寸前になる。その後、後遺症があったり両目が白内障になったりで、長い間見えづらい状態になるのさ」なんて言われたら、私はビビってしまい、何も手につかなくなってしまうだろう。知らぬが仏で正解だった。
スピリットたちは、どんな時も私を見守ってくれている。常に私を愛で導いてくれており、私がそこに意識を向ければその愛を感じることはできる。だが、彼らはヘリコプターペアレントのように頭の上でブンブン言って、私の成長の芽を摘むようなことは決してしない。
ごく稀な場合を除き、こちらから聞かない限り、また、私に知りたいという意志がない限り、向こうから一方的に教えてくれることはない。そして、教えてくれる時は、私がそれを基に自分の頭で考えて行動し、成長できる形で教えてくれる。
私のミスによって占星術の情報がなぜかいつも少しずれてしまうことについて、「あいつは性格上、真面目に情報を信じるがあまりにかえってそれが制限になるから、ちょっとだけずらしてやろう」とスピリットたちが操作したのだろうかと思ったことは、まんざら間違えではないだろう。
自ら創造する、創造者として生きる、ということをスピリットはあらゆる角度から私に示そうとしているように思う。彼らは、私の成長を心からサポートしてくれているのである。
自分の目の状態が徐々に悪化して行っても、それと並行して、親の老いや健康、実家の行く末にストレスや不安を感じても、スピリットと古老から受け取った ”You have an incredible journey” という言葉が常に私の心の中にあった。incredible journey の incredible とは、「信じられないほどの、とてつもない、素晴らしい」という意味がある。その言葉が光を灯し続け、私に力を与え、根底を支えてくれている。
この言葉は、これからも私の魂の羅針盤としてハートの中にあり続ける。