前々日グループで行動していた時は、行く先々にカラスの羽根が落ちており、二人で行動するようになってからは、行く先々で目の前に一羽だけのカラスが現れ、ずっとカラスのスピリットが寄り添っているのを感じた。
そして、旅の最後の夜には、最初の夜に現れた翡翠色の蛾のオオミズアオがホテルの部屋の窓に現れ、私たちは興奮した。まるで大いなる自然からのオープニングとクロージングの贈り物のよう!
そして、旅の最後の夜には、最初の夜に現れた翡翠色の蛾のオオミズアオがホテルの部屋の窓に現れ、私たちは興奮した。まるで大いなる自然からのオープニングとクロージングの贈り物のよう!
友人は、夢中になってオオミズアオの写真を何枚も撮っていた。彼女は撮った一枚を見て「人みたい」とつぶやいたが、昆虫という概念を外すと、影のように浮き上がった形は天使のようでもあり、縄文時代の洞窟で見た「翼の仮装をした人物」の壁画をも思い起こさせた。
昆虫のオオミズアオにも、鳥のカラスにも、壁画の人間にも、共通しているのは羽・翼だった。飛べるということは地面と空中を行き来できるという意味で、次元が増える = 意識の変容・進化の象徴であると、ある本で読んだことがあるが、私にとって今回の北海道での強烈な体験は、この「翼を持つということ」という壮大なテーマへと繋がっているのを感じずにはいられなかった。